トピックス
節分~フッ素講習~富士山の日~音楽会ごっこ
2月3日の節分をスタートに、沢山の出来事がありました。一挙にご紹介です。
●節分は一人一人の心の鬼に、園長先生が一人一人の鬼退治をしました。子ども一人一人の鬼の面に豆をあて鬼は外!
●フッ素の講習会は、年中さんとその親御さんを対象に年長組に進級してからのフッ素化について説明会が開かれました。8020運動ご存じ!80歳で20本の自分の歯!
●富士山の日にちなんで、富士山O☓ゲームをしました。223という事でゴロ合わせ遊びをしてみたり、歴史的な問題や地理的問題など多岐に楽しみました。こんなことから文字や物事への知識欲が育まれればと思います。
●音楽会ごっこは、それぞれの学年の発表を他学年の子どもがお客さんになって、互いに観て聴いて学んで、本番への意欲を沸かせるきっかけになればと思い、総練習を兼ています。親御さんに見せる聞かせることも大切な発表ですが、子どもたち同士の育ちあいも大切ですので見せ合いを有効にして互いを励まし頑張り、あこがれやさしさにつなげていきます。(写真はありません、本番のひなまつり音楽会をお楽しみに)
お別れ遠足(年長)
1月22日(金) 早いもので、この日がきました。お別れ遠足! 子ども達の勇姿を雪山の中で確認することができます。たくましくゲレンデを滑走し、足元が滑る大地を踏みしめ登る、その繰り返しを心の底から楽しみ、友達や保護者そして私たちに教員と分かち合う、この子らの成長に万歳ですね。まだまだこれから大きくなる子ども達!本当に楽しみです。
コラム
これからも子ども達はいろいろな道で成長していきます。その中で一つ、私たち親が子どもに感じさせてはいけない思い、それは「親にうらぎられた」という思いではないでしょうか、「お前なんか家の子でない!」絶対に言ってはいけない言葉、子どもは親の思う通りにならないのが当たり前、思い通りにならない=うらぎられた・・・ではありません。子どもはいつも心の中で「ありがとう」と私たち親に叫んでいます。その心の声が聞こえないのは、自分のエゴからくる子どもへの要求が優先されているからであることを悟りたいです。
子どもが大きくになるにつれて一緒にいる時間が少なくなります。笑顔や泣き顔、怒り顔やふてくさり顔、やさしい顔や困り顔、てれくさい顔や自慢げな顔・・・子どものいろんな顔を視る機会が、段々に段々に、徐々に徐々に、子どもの成長と共に減ってきます。そこで私たちは不安を抱き心配が膨らみ、勝手な一人よがりの想像から発する言動で子どもを苦しめることが出てきます。
子どもの心によりそって一緒に考えてみる。やってみな、見守っているよ、ついているよ、そうかそうだね、良かった良かった、かなしかったな、大丈夫だよ、そこだね頑張った、そうだそうだ・・・いろんな場面で答えを導きだすことは難しいと思います、アドバイスも助言も難しいと思います、そうであるならば、いっしょに思う・いっしょに考える、いっしょに願っていくことしかできないのではと思います。
子どもにとってありがたい親とは? 子どもにとってありがたい教師とは? 常に目の前の子どもの幸福を願いながら、歩み続けくことが大切なのではないかと思う毎日です。 園長
七草・どんど焼
春の七草、せり・なずな・ごぎょう(ははこぐさ)・はこべら(はこべ)・ほとけのざ(こおにたびらこ)・すずな(かぶ)・すずしろ(だいこん)は1月7日に、お粥にして食べると1年病気をしないといわれています。(下記の七草の絵は、いくこ先生が描いたものです。幼稚園のどこかに掲示していますよ、どこにあるか分かりますか?)
七草がゆの作り方
①お湯に塩をいれ七草をゆでる。②ゆでた七草を冷水にとり、ザルにあげて水気を軽く絞る。③七草を細かく刻む。④鍋にごはんと水をいれて煮る。⑤塩を入れ(お餅を入れる地方もある)七草を混ぜてできあがり。
ついでに秋の七草をご存知ですか?これも、いくこ先生が描きました。同じく幼稚園のどこかに掲示してありますよ。来園された時に探して見てはいかがですか?
どんど焼き
小正月の1月15日、大昔は1月の満月の日である15日が1年の始まりでした。しかし、新暦の導入で1月1日に改められました。しかし旧暦は農業と結びついていましたので、民間では15日を正月として祝う風習が続いていたため、そこで1月1日元旦を大正月、15日を小正月とよびそれぞれに祝うようになったのです。
小正月には農耕にまつわる行事が多く、その代表的なものに、小正月の前日14日は『どんど焼き』があり、悪霊をはらうために正月飾りを焼き、豊作を願うために「まゆ玉」「もち花」を飾り、また焼いて食することで健康と厄除けを祈願する、加えて書き初め等を高く燃え上げると学問の向上が叶うなどの風習が続いています。
私達が繋げる文化、その中に人間の生きる力を見出すことができます。地域のコミュ二ティ―、子育ての糧、互助の精神、願いや希望、豊かな感性・・・それは多くの力が伝統文化の中に引き繋がれています。これは、私達大人が子どもらに伝えなければならない大切なものではないでしょうか? 地域の文化に興味を持ち積極的に関わって行くことで、豊かな生活を育んでくれますね。
新年あけましておめでとうございます。
みかん
高尾山の神様に
12月21日(月)年長でずーっと計画をしてきた高尾山詣、お泊り会から神様にお願いをし、いつも僕たち私たちを見守っていてくれた神様。お泊り会の時には雨で奥宮まで行くことができなかったので、12月に入りお礼とともに年末年始のご挨拶、1年間の無病息災と一人一人のお願いをしに行こうと、本日、年長全員で出かけました。高尾山は藤田幼稚園のご先祖様の云われもある由緒ある場所であります。この子らをこれからも健やかにそして沢山の幸せをきっと与えてくださると信じています。昔、私(園長)はこの高尾山を二つ山と呼び、幼児期にはこのお山の植林の手伝いをしていました。また昔、このお山の下では馬場を作り、祭事には大変にぎやったと聞いています。大淵の地で育つこの子らの未来が永劫に輝きますように!
クリスマス会
もちつき会
12月11日(金)大雨・強風いやいや暴風雨です。朝から時間がたつとだんだんにまた突然に雨・風が・・・どしよう!お餅つき・・・!!! と、雨風の昇降状況を見て、今だカマドを準備、火をつけろ、よしよし火は起こせた、もち米準備・テント準備!・・・しかし風雨は強まるばかり、できるだけしかできないせめて子供たちに餅つきをさせてあげたい、前の日から雨の予報で室内での餅つきを準備していたお陰で、何とか学年で一臼だけでも・・・と願い準備を進めます。しかし、遊戯室広さ・交通安全・風雨の危険性から役員さんたちのお手伝いを断念し、職員とPTA正副会長さんたちと何とか実施にこぎつけました。風により遊戯室の窓を割る被害も出て、本来なら役員さんとみんなで本年度最後のPTA行事となるところを安全を優先し、お手伝いを断念したことへのいかばかりかの安堵感を感じながら、餅つき会をなんとか開催することができました。
雨降って地固まる!今年の餅つきは風雨ですべての災難を洗い流し、新年の多幸をお餅に込めました。来る平成28年が皆様にとって素晴らしい年でありますようにと願いつつ! その後の天気はうそのように晴れました。半袖で過ごせるくらいに、また夕焼けもきれいでした。これからを象徴する一日でした。
走ろう会
藤田幼稚園のマラソン大会は伝統と研究によって発展してきました。幼稚園開園当時数年は、幼稚園前の道路を封鎖して、年長さんは幼稚園から猿坂道(大淵中学校北側)を通り、大淵二丁目の魚正さんをU―ターンするそれは大変な厳しい道のりでした。(年中はその半分・年少さんは幼稚園前の道)その後、交通事情と地域の安全理解・車社会の発展とともに体力的発達、幼児期の健康や成長の研究から心肺機能の観点・富士市総合運動公園の立地がかみ合って、子どもたちの経験・体験を重視した走ろう会に変貌してきました。この事は私たちの日常の保育計画や行事運営において様々な因果関係を、子どもたちの成長と幸福、最善の利益を一番に考察し積み上げること。また、目の前の子どもを見て考えること・そして集団生活や公教育の中で学ばなければならないことを合わせていきます。そこで始めて行事や教育計画が進みます。
走ろう会では、子ども達の雄姿が富士山の雄姿と一緒になって、みなさんの暖かな応援が子どもたちに伝わったことでしょう。そんな一時を共に感じ会えたみなさんは一つの思いを共にしたファミリーとなりました。1番・2番・・・成績に一喜一憂することも一つです。最後まで完走したことへの称賛もその一つです。一人ひとりの個性に向かって同じようにこれからもたくさんの称賛を与え続ける私たちでありたと思える走ろう会でした。
消防庁舎見学
11月10日(火)消防庁舎見学に行きました。今週末には消防祭りも控え(雨天の為不参加となりました)、日ごろから幼年消防クラブ員として、防火や防災など意識して学んでいます。しかし、幼児は災害弱者であり、私たち大人や社会が守らなければならない存在です。でも幼い時から消防活動に関わり体験したり見聞きして学んでいくことは将来とっても大切な事でしょう。守られるだけでなく、将来は守る人になる子ども達です。また、本園を見渡すと消防関係者の方が多くいらっしゃります。この事は、普段の安心につながりとてもこころ強い限りです。ありがたいことです。そんなお力もお借りして、幼児期の育ちに危機管理能力の向上をこれからも推進していきたいと思います。ふと思い出したことが、私たちが小さい時よく言われたのが、この世で怖いものは・・・地震!雷!火事!おやじ!という言葉を思い出しました。まったくの間違いではありませんね。怖いものにどう立ち向かっていくか、どう適応していくか、昔の子はそうして育てられたことも事実でしたね。